Daigoの炎上で気づかされること

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約1754文字 一般的完読時間 3分

メンタリストのDaigoがその動画内容が原因で大炎上しましたね!
ご存じの方は多いと思います。

発言内容は次のこと。

「生活保護の人たちに食わせる金があるんだったら猫を救ってほしいと僕は思うんで。
生活保護の人が生きてても僕は別に得しないけどさ、猫はさ生きてれば僕得なんで」

続けて

「自分にとって必要のない命は、僕にとって軽いんで。だからホームレスの命はどうでもいい」

とも。

多くの人に非難を浴び、炎上するのは当然のことと思います。
その後謝罪して、泣いて見せても批判が収まらないのもまた当然だと思います。

Daigoは以前、テレビでめそめそ泣いて、過去を懺悔していたのを見て、全く信用できない人物だと思っていました。
そもそも顔つきも思慮深いとはほど遠く軽薄イメージです(笑)

そういうわけで、彼個人には興味がないので、その一芸能人の発言をいちいち分析する気はありません。

ただし、この「事件」をきっかけに気づかされること、そして皆さんに気づいて欲しいことを3つ述べたいと思います。

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1)今「差別」は最もナーバスなこと

以前からこのブログで発信していましたが、今最も炎上しやすい内容が、「差別」と受け取られることです。

人種、性、障害者、同性愛者(LGBT)、被差別部落そして今回の生活保護受給者とホームレスなど。
その他にも、あるでしょうし今後も増えそうです。

とにかく「被害者」が「差別を受けた」と申告すればそれが通りやすい世の中であることは間違いありません。
だから関連する発信に関して細心の注意が必要ということになります。

「差別」が日常にあった50年前を知っている私からすると、本当に様変わりです。

2)誰もが持つ好き嫌いと差別はどこが違うか

好き嫌いは誰にでもあります。
優越的な地位の人が、他人を見下すこともよくあります。
その相手が一個人であれば、あまり「差別」にはなりませんが、特定のグループ層に向けられると「差別」になりやすいです。
(もちろん対個人であっても拡大解釈されることはあります)

Daigoの発言は、言い間違いでも炎上商法でもなく、本心に違いありません。
謝罪にしても、あまりに悪影響が大きく今後の活動に支障が出そうになってきたからと思えます。

良い悪いは別にして、個人の考えは尊重されるべきです。
思想の自由がありますので。

いくら差別主義者であっても、発信しなければ問題にはなりません。
そこが重要な点で、特定の考え方を持っているだけで糾弾することは、その「特定グループ」への「差別」につながります。^^

要するに好き嫌いと差別に大きな差はなく、問題にならないか、問題になるかの違いと言って良いでしょう。

3)「差別」の矛盾

差別は常にいわゆる「弱者」が「被害者」になるもの。
「弱者」も「被害者」もカッコでくくっているのは、実質はどうか分からないが一見そういう位置づけという意味。

例えば

「男性は働くべき」と言っても、差別と言う人は少ないでしょう。
しかし「女性は家事をするべき」とか「女性は働くべき」と言うと「差別」と言われやすいです。

「白人って嫌い」と言っても、差別と言われませんが、
「黒人って嫌い」と言ったら、差別と言われるでしょう。

「韓国人は背が高い」と言っても、差別と言われませんが、
「韓国人は目が細い」と言ったら、差別と言われるでしょう。

一事が万事そうで、弱者又は弱者側に立った者が批判することによって「差別」が成立します。

この状況はともすれば「弱者」が自分に言って欲しくないことを、「差別」認定して、言論を封鎖することにつながります。
現に既にそうなってきています。
だから私は現在の差別に対する過剰反応は、非常に危険だと思ってます。

もはや「弱者」は自称であり、実際には「強者」に対してマウントをとって、権力者になっている気さえします。
「ヘイトスピーチ法」まで出来ました。

「弱者」である労働者が退職して会社(強者)を訴える側にたって「強者」化し、実際には会社が弱者化するのと同じ構図です。

そのため、イデオロギーの違う者や、嫌いな者を貶めるために、過去の投稿を掘り起こすことも充分あり得ます。

「差別反対!」

「ヘイトスピーチは日本の恥!」

などという言葉を単純に盲信するのは、危険であり、Webライティング的にも魅力がないと言えます。

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